インフォメーション

2012-09-15 10:47:00

 

 

 

 

 8日に美瑛岳に入山し行方が分からなくなっていた男性が12日、救出され旭川市内の病院に搬送された。

 

 救出されたのは増毛町職員の山吹裕治さん。登山のため一人で美瑛岳に入山し、日帰りで下山する予定だったが、9日午前に美瑛消防署に「美瑛岳付近で迷った」と救助を要請。以後連絡が取れなくなっていた。発見されたのは12日午前1050分ごろ、登山道を外れた美瑛岳北西斜面で手を振っていた山吹さんを、陸上自衛隊のヘリが発見し道の防災ヘリが救出した。

 

 道北地方山岳遭難防止対策協議会美瑛支部が9日、美瑛消防署3階に捜索本部を設置。同協議会美瑛支部や美瑛消防、旭川東警察、上富良野自衛隊らで捜索隊を組織し捜索活動にあたった。捜索は荒天に阻まれ難航、捜索隊員は延べ2百名を越えた。

 

遭難者捜索活動の写真
撮影は910日午後1時。
場所は望岳台から美瑛富士・美瑛岳方面に向かう途中のポンピの沢。

2012-08-31 12:37:00

今、水沢の畑でトウモロコシの収穫が最盛期を迎えている。

水沢地区の11戸の農家で「水沢スイートコーン研究会」を結成、個々で出荷していたトウモロコシを共同出荷し産地化を目指している。そのため農業技術研修センターや普及センター、農協等の協力を得て栽培技術の習得に努力してきた。   

栽培しているトウモロコシは「スイートコーン ゴールドラッシュ」。生で食べられるほど皮のやわらかい黄色のトウモロコシで食味は極上である。 

研究会の矢野司さん宅も今が収穫の真っ盛りである。

家族と高齢者事業団からの作業員らが、早朝から手作業でトウモロコシを収穫する。その収穫したトウモロコシを26本と30本ずつコンテナに詰め、農協倉庫に運び込む。新鮮さを維持するため作業は常に時間との勝負。作業場はコンテナに詰める本数を間違わないよう、会話は少ない。午後4時に農協の受付が終る、それまでに採ったトウモロコシの搬入を終えなければならない。

黙々とコンテナを積み込む矢野さんに、「メロンに勝る甘さと聞きますが…」と水を向けると「間違いなく美味しいです」と断言、笑顔が返ってきた。

 

水沢スイートコーン研究会の栽培する「ゴールドラッシュ」は、8月上旬から出荷が始まり9月中旬まで続く。収穫は品温の低い朝方とし、収穫後も品温を上げない。雨降りの収穫は丁寧に布で拭き取り箱詰めするなど、出荷ルールは厳しい。今期研究会の栽培面積は約19㌶。反当り収量は2500本~を見込んでいる。

2012-08-25 16:30:00

美瑛町郷土資料館検討委員会が13日、町民センター2階会議室で開かれた。

 旧図書館の2階にある郷土資料館は、図書館が移設した今、その在り方を問われている。

 郷土資料館は美瑛の歴史に関する資料を収集・展示、郷土に対する認識を深めるために設けられたもの。町は図書館建設を先行し、郷土資料館の検討を先送りしてきた。

 新図書館が開設された今、新たに検討委員を公募。委員会は資料館の役割や理念を検討し、美瑛の郷土資料館のあるべき姿を検討する。当然検討する項目には郷土資料館の場所や規模など、施設面も含まれてくる。

 

 委員会は一般公募者を加えた6名で、奥山教育長より委嘱状を交付した。

◇郷土資料館検討委員 

▽倉博之・鎌田光春・菅野勝見・野上好・山崎靖夫・延智子(一般公募)

  

美瑛町百年史によると、次のように記されている。  

昭和541115日、美瑛町開基80周年記念として旧公民館(旧図書館)の2階を大規模改修して、公民館付属郷土資料館を開館した。この開館のため資料の収集、整理に協力したのが、美瑛町郷土資料保存会(昭和5212月設立)で、開館時には約800点の資料が展示された。平静10年現在の資内点数は3825点。

2012-08-18 16:26:00

美瑛の「農」と「商」の合体、「どかんと農業祭り」が18日、JR美瑛駅前・本通り特設会場で開かれた。会場は夏休み最後の週末とあり、大勢の観衆が終日美瑛の夏を楽しんだ。

 開演を告げるヨサコイ演舞、威勢のいい掛け声にあわせチビッ子達が舞い踊る。

 午前中の主役は「農」である。今年もマルシェのテントは美瑛の農産品を大提供。旬のトウモロコシやトマトが飛ぶように売れていた。またステージ前では地域対抗の丸太切り。麦わら帽子に前掛けをつけて必死に丸太を切る。チームワークと腕力勝負が繰り広げられていた。歌謡ショーを挟み、「農」の真打は農協幹部が揃い踏みする「紅白もちまき」。ステージを大観衆が取り囲み祭りのボルテージは最高潮となった。

 午後の演出は「商」が担当。商工会の目玉は50周年を迎えた「仮装本踊り大会」。その前哨戦として「ワンちゃん仮装コンテスト」と「コスプレコレクション」を採り入れた。ジャンルは違うが幅広いマニアが集結、若人らの人気を集めた。 

夕闇のステージに白金太鼓の力強い太鼓の響き北海盆歌が始まった。

町内外から集まった仮装団体が、隊列を組み踊りながら駅前広場を目指し練り歩く。婦人親交会、町議会議員、建設業協会、大雪青少年交流の家など、50周年大会は新規参加組も多い。それぞれが奇を衒った扮装で豪勢な山車を先導する。駅前は練り歩く仮装の隊列で溢れ、取囲む観衆と一体となり最高潮に達した。

 

午前は「農」、午後は「商」が担当し実に多彩な祭りを繰り広げた。最後の花火が夏の宴の終わりを告げるかのように夜空を染めていた。観衆は3万人(主催者発表)

 

2012-08-11 15:53:00

「美瑛では山菜やキノコ、魚など、楽しいことが沢山ある」と語るのは、福島から避難してきた宗像義国さん。

「山を歩くのが好き」と語る宗像義国さんは、妻の早苗さんと義父の國男さんの3人で、美瑛に着いたのは昨年3月。義国さんは現在、町の農業施設で働いている。畑で体を動かし、何かやっていればと汗を流している。「この方が好いだよ」と福島訛りの強い言葉で笑顔を見せる。

 

今年88歳の國男さんが施設に入所。早苗さんは福島では養鶏所で働いていたが、美瑛では看病もあり家事に専念している。

 

美瑛はワラビやウドが一杯あると春は山菜採りに努めた。採ったワラビは早苗さんが直ぐ茹でてくれる。干しておけばいつでも食べることが出来ると、義国さんは福島の暮らしを思い出すかのように熱弁する。これからはキノコのシーズン、美瑛にはシメジや…が一杯と話は尽きない。

 

福島県田村市都路に家がある。昔はタバコや養蚕が盛んな土地で今は水田が多い。宗像さんも水稲や野菜、そして牛などを飼って生活していた。

その暮らしが原発で避難対象区域となった。

宗像さんらは当初山形に非難したが、北海道に叔父さんがいると美瑛にやって来た。福島の家は今も避難区域。4月に警戒区域から避難指示解除準備区域に再編され、自由に行き来できるようになったが、宿泊はできない。地区では除染作業を進めている。家屋は8月中に始まる予定で、農地も数センチ除染すると云う。今は農作物を試験的に作り始めたが、そんな農作物は「誰も買ってくれないよ」と突き放したように語る。

宗像さん福島の原発で働いたこともある。田村市や原発周辺に住む人たちの多くは原発で働いていた。原発を「新たなものは出来ないと思うが、急には無くならないよ」と小さく答えた。

 

 

9日午前11時2分に町内にサイレンが鳴り響いた。美瑛町議会でも一時進行を中断し沈黙、長崎を想った。広島、長崎、そして私たちは福島を忘れてはならない。