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今、水沢の畑でトウモロコシの収穫が最盛期を迎えている。
水沢地区の11戸の農家で「水沢スイートコーン研究会」を結成、個々で出荷していたトウモロコシを共同出荷し産地化を目指している。そのため農業技術研修センターや普及センター、農協等の協力を得て栽培技術の習得に努力してきた。
栽培しているトウモロコシは「スイートコーン ゴールドラッシュ」。生で食べられるほど皮のやわらかい黄色のトウモロコシで食味は極上である。
研究会の矢野司さん宅も今が収穫の真っ盛りである。
家族と高齢者事業団からの作業員らが、早朝から手作業でトウモロコシを収穫する。その収穫したトウモロコシを26本と30本ずつコンテナに詰め、農協倉庫に運び込む。新鮮さを維持するため作業は常に時間との勝負。作業場はコンテナに詰める本数を間違わないよう、会話は少ない。午後4時に農協の受付が終る、それまでに採ったトウモロコシの搬入を終えなければならない。
黙々とコンテナを積み込む矢野さんに、「メロンに勝る甘さと聞きますが…」と水を向けると「間違いなく美味しいです」と断言、笑顔が返ってきた。
水沢スイートコーン研究会の栽培する「ゴールドラッシュ」は、8月上旬から出荷が始まり9月中旬まで続く。収穫は品温の低い朝方とし、収穫後も品温を上げない。雨降りの収穫は丁寧に布で拭き取り箱詰めするなど、出荷ルールは厳しい。今期研究会の栽培面積は約19㌶。反当り収量は2500本~を見込んでいる。
美瑛町郷土資料館検討委員会が13日、町民センター2階会議室で開かれた。
旧図書館の2階にある郷土資料館は、図書館が移設した今、その在り方を問われている。
郷土資料館は美瑛の歴史に関する資料を収集・展示、郷土に対する認識を深めるために設けられたもの。町は図書館建設を先行し、郷土資料館の検討を先送りしてきた。
新図書館が開設された今、新たに検討委員を公募。委員会は資料館の役割や理念を検討し、美瑛の郷土資料館のあるべき姿を検討する。当然検討する項目には郷土資料館の場所や規模など、施設面も含まれてくる。
委員会は一般公募者を加えた6名で、奥山教育長より委嘱状を交付した。
◇郷土資料館検討委員
▽倉博之・鎌田光春・菅野勝見・野上好・山崎靖夫・延智子(一般公募)
美瑛町百年史によると、次のように記されている。
昭和54年11月15日、美瑛町開基80周年記念として旧公民館(旧図書館)の2階を大規模改修して、公民館付属郷土資料館を開館した。この開館のため資料の収集、整理に協力したのが、美瑛町郷土資料保存会(昭和52年12月設立)で、開館時には約800点の資料が展示された。平静10年現在の資内点数は3825点。
美瑛の「農」と「商」の合体、「どかんと農業祭り」が18日、JR美瑛駅前・本通り特設会場で開かれた。会場は夏休み最後の週末とあり、大勢の観衆が終日美瑛の夏を楽しんだ。
開演を告げるヨサコイ演舞、威勢のいい掛け声にあわせチビッ子達が舞い踊る。
午前中の主役は「農」である。今年もマルシェのテントは美瑛の農産品を大提供。旬のトウモロコシやトマトが飛ぶように売れていた。またステージ前では地域対抗の丸太切り。麦わら帽子に前掛けをつけて必死に丸太を切る。チームワークと腕力勝負が繰り広げられていた。歌謡ショーを挟み、「農」の真打は農協幹部が揃い踏みする「紅白もちまき」。ステージを大観衆が取り囲み祭りのボルテージは最高潮となった。
午後の演出は「商」が担当。商工会の目玉は50周年を迎えた「仮装本踊り大会」。その前哨戦として「ワンちゃん仮装コンテスト」と「コスプレコレクション」を採り入れた。ジャンルは違うが幅広いマニアが集結、若人らの人気を集めた。
夕闇のステージに白金太鼓の力強い太鼓の響き北海盆歌が始まった。
町内外から集まった仮装団体が、隊列を組み踊りながら駅前広場を目指し練り歩く。婦人親交会、町議会議員、建設業協会、大雪青少年交流の家など、50周年大会は新規参加組も多い。それぞれが奇を衒った扮装で豪勢な山車を先導する。駅前は練り歩く仮装の隊列で溢れ、取囲む観衆と一体となり最高潮に達した。
午前は「農」、午後は「商」が担当し実に多彩な祭りを繰り広げた。最後の花火が夏の宴の終わりを告げるかのように夜空を染めていた。観衆は3万人(主催者発表)。
「美瑛では山菜やキノコ、魚など、楽しいことが沢山ある」と語るのは、福島から避難してきた宗像義国さん。
「山を歩くのが好き」と語る宗像義国さんは、妻の早苗さんと義父の國男さんの3人で、美瑛に着いたのは昨年3月。義国さんは現在、町の農業施設で働いている。畑で体を動かし、何かやっていればと汗を流している。「この方が好いだよ」と福島訛りの強い言葉で笑顔を見せる。
今年88歳の國男さんが施設に入所。早苗さんは福島では養鶏所で働いていたが、美瑛では看病もあり家事に専念している。
美瑛はワラビやウドが一杯あると春は山菜採りに努めた。採ったワラビは早苗さんが直ぐ茹でてくれる。干しておけばいつでも食べることが出来ると、義国さんは福島の暮らしを思い出すかのように熱弁する。これからはキノコのシーズン、美瑛にはシメジや…が一杯と話は尽きない。
福島県田村市都路に家がある。昔はタバコや養蚕が盛んな土地で今は水田が多い。宗像さんも水稲や野菜、そして牛などを飼って生活していた。
その暮らしが原発で避難対象区域となった。
宗像さんらは当初山形に非難したが、北海道に叔父さんがいると美瑛にやって来た。福島の家は今も避難区域。4月に警戒区域から避難指示解除準備区域に再編され、自由に行き来できるようになったが、宿泊はできない。地区では除染作業を進めている。家屋は8月中に始まる予定で、農地も数センチ除染すると云う。今は農作物を試験的に作り始めたが、そんな農作物は「誰も買ってくれないよ」と突き放したように語る。
宗像さん福島の原発で働いたこともある。田村市や原発周辺に住む人たちの多くは原発で働いていた。原発を「新たなものは出来ないと思うが、急には無くならないよ」と小さく答えた。
9日午前11時2分に町内にサイレンが鳴り響いた。美瑛町議会でも一時進行を中断し沈黙、長崎を想った。広島、長崎、そして私たちは福島を忘れてはならない。
送電鉄塔は不要物ではない。ただ鉄塔は景観を阻害する。新しくなった鉄塔を巡り、景観に対する考えがさまざまに交差している。
美馬牛の丘を走る送電鉄塔が一新された。場所は上富良野町深山峠方向から美馬牛小学校の裏を通り、福美沢の赤い屋根の家の近くまで真新しい高架の鉄塔が並んでいる。旧鉄塔は本体のみで自立する自立型電柱であり、骨組みの外形が四角錘の形になった四角鉄塔はひと回り大きくなり高架となって周りの景観を威圧している。
送電鉄塔を高架にすることは農家の要望でもあった。農業機械が大型化され、安全性を図るためには高架が望ましい。また農作業を円滑に行うため耕作地の中の鉄塔は、出来るだけ避けたいのが実情である。
今回建て替えられた送電鉄塔はそれらの与件を十分留意し、送電線の位置を高くして、尚且つ鉄塔の数も少なくした。
美瑛町は美しい村の保全と形成に向けて、平成15年「美瑛の美しい景観を守り育てる条例」を制定した。条例は大きな建物の建築や開発などに事前の届け出を義務付けている。
今回の送電線鉄塔の更新も、事業主の北海道電力からの申請を受け町の景観審議委員会で審議している。図面上に新設する鉄塔を置き、環境に対する負荷を検討。また色や高さを議論したが、送電線を高くして鉄塔の数を減らすとなると作る鉄塔は限られた。
また地域に対する説明は、地域の行政区が窓口となり意見収集を行った。
今回新しくなった鉄塔は、地権者の農家の要望に叶うものであり、審議を進める審議会も適切な処理を行ったといえる。
しかし新しく立った鉄塔がより目立つようになったことは事実である。ここ数年多かった携帯電話の鉄塔より、鉄塔は数が多いだけに景観に及ぼす影響は大きいと云える。
今や美瑛の「景観」は、丘や山や畑を所有する個々の所有者のものとは違って町民の共通した財と云える。これ以上、美瑛の景観に負荷が掛からないように、どうすれば良いのか、幅広く考えることが大事かと思う。