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「美瑛では山菜やキノコ、魚など、楽しいことが沢山ある」と語るのは、福島から避難してきた宗像義国さん。
「山を歩くのが好き」と語る宗像義国さんは、妻の早苗さんと義父の國男さんの3人で、美瑛に着いたのは昨年3月。義国さんは現在、町の農業施設で働いている。畑で体を動かし、何かやっていればと汗を流している。「この方が好いだよ」と福島訛りの強い言葉で笑顔を見せる。
今年88歳の國男さんが施設に入所。早苗さんは福島では養鶏所で働いていたが、美瑛では看病もあり家事に専念している。
美瑛はワラビやウドが一杯あると春は山菜採りに努めた。採ったワラビは早苗さんが直ぐ茹でてくれる。干しておけばいつでも食べることが出来ると、義国さんは福島の暮らしを思い出すかのように熱弁する。これからはキノコのシーズン、美瑛にはシメジや…が一杯と話は尽きない。
福島県田村市都路に家がある。昔はタバコや養蚕が盛んな土地で今は水田が多い。宗像さんも水稲や野菜、そして牛などを飼って生活していた。
その暮らしが原発で避難対象区域となった。
宗像さんらは当初山形に非難したが、北海道に叔父さんがいると美瑛にやって来た。福島の家は今も避難区域。4月に警戒区域から避難指示解除準備区域に再編され、自由に行き来できるようになったが、宿泊はできない。地区では除染作業を進めている。家屋は8月中に始まる予定で、農地も数センチ除染すると云う。今は農作物を試験的に作り始めたが、そんな農作物は「誰も買ってくれないよ」と突き放したように語る。
宗像さん福島の原発で働いたこともある。田村市や原発周辺に住む人たちの多くは原発で働いていた。原発を「新たなものは出来ないと思うが、急には無くならないよ」と小さく答えた。
9日午前11時2分に町内にサイレンが鳴り響いた。美瑛町議会でも一時進行を中断し沈黙、長崎を想った。広島、長崎、そして私たちは福島を忘れてはならない。